私が「アメリカで美容師をしたい」と思ったきっかけや、実際アメリカに行くまでに準備した事をシェアできたらと思います。
目次
- ずっと気になっていた。「美容師」と「海外」
- 期間を決めとかないと、タイミングなんてない。
- 準備したこと。
- 宣言する。
- VISA、面接、入国。
- 刺激的な生活の始まり。
- まとめ
1 ずっと気になっていた。「美容師」と「海外」
「美容師になりたい!」と初めて思ったのは、高校生の刈り上げの頃です。(部則でサイド指3本分、バック指5本分刈り上げないといけませんでした。笑)
よくあるビューティフルライフがきっかけです…。笑
なんせ小学生の頃から木村拓哉さんの大ファンでした。
高校の時に進路を決める際…
大学で教育の勉強をするか、美容学校に行くか、プロリーグがあるアメリカの大学でプレーするか。私の中ではこの3択で迷っていました。
その時はまだ、ソフトボールを続けたかったし、親の仕事でもある教育関係の勉強もしてみたかったので、実家から通える大阪の大学に4年間通いました。
大学4回生でソフトボールをやめた時、教員になると選択肢もありましたが、教員にはいつでもなれるし、バイト経験もなかったので社会勉強のために「一回やってみたいことやってみよ」と思いました。
ソフトボール以外でやりたいことと言えば…
「美容師」
「海外で働くこと」
前回のブログ書いた様に就職活動は大変でしたが…なんとか周りの人の助けもあり就職する事ができました。
2 期間を決めとかないと、タイミングなんてない。
私のプラン的には、日本で技術の基礎を学び、スタイリストとして自立できたら海外に行こうと決めていました。
まず、美容師免許を持っていなかったので、3年間サロンで働きながら、通信教育で美容師免許を取得。
「3年見習いをしていればある程度習得できるかな?」と考えていましたが…
美容師って覚えることめっちゃあるんです。笑
完璧を求め出したら、終わりなんて全く見えない。
私は器用ではなかったので、みんなが一回でできることを何回も練習しないとできませんでした。
でも、早くスタイリストになって早く海外に行きたい!
と自分を奮い立たせて努力しました。
毎日営業前後レッスン、睡眠時間は4.5時間、週1休みで学校ある時は休みなしみたいな生活でした。
部活やってる時と一緒やん。また休みないやん。笑
結局、盆と正月しか休みない生活でした。
3年経って、美容学校を卒業。
国家試験を受けます。
技術と学科。
カット、パーマのロッドを巻くのはわかるけど…オールウエーブ…「これいつ使うねん?笑」
と思いながら国家試験のためだけにめっちゃ練習しました。
学科は、仕事が終わってから時間を決めて家で勉強。
サロンで普段使わない薬剤の名前や、衛生系の言葉など覚えないといけない言葉がたくさんあります。
私は、暗記がめっちゃ苦手でした…。
見事に学科落ちる。笑
日本の美容師の国家試験は年に2回しかなく、また半年試験勉強を続けます。
「大体の人は一回で試験に受かるで」先輩にバカにされながら…必死で勉強しました。笑
半年後…合格!!!
もうこの時点でサロンに就職してから4年が経っていました。
私の計画では5年間日本で働いて技術を磨いて、アメリカに行く。
「やばっ!もう言うてる間に5年やん!」
私は、オーナーに「1年後にアメリカに行く予定で頑張ります。」
と伝え、1年間スタイリストとして働き、レッスンを続けました。
それでもジュニアスタイリストくらいのレベルで、売上は50万くらい。
まだまだ、技術も人間力も自信ないけど…。
美容師をはじめてから5年…。
「もう行くしかない」
このまま完璧を求めてもゴールが見えない。
私は不安を抱えながらも、とりあえず海外に行くことを決めます。
3 準備したこと。
・行きたい国を決める。
一年くらいかけて、海外で働くための準備をします。
まずは海外のどこに行きたいのか、どうやったら働けるのか費用はいくらかなどを調べました。
「アジアは費用も安くかなりいい生活ができそう!」
「カナダ、オーストラリアはワーホリがある!」
だけど…「好きなスタイルはアメリカやなー…。」
アメリカで就労VISAを取得するのはなかなか大変です。
すでにアメリカに店舗を持っている会社サポートしてもらうという方法もありますが、行きたい人も多いのでいきなり私が入ってすぐにVISAサポートをしてくれるというわけではありません。
結局…一番費用が高くて、学生ビザでしかいけないアメリカに行く事にします。笑
ニューヨークかロサンゼルスで迷ったのですが、やっぱりあったかい方がいいなと思ってロサンゼルスに決めました。笑
・1年間英会話教室に通いました。
私は恥ずかしがりなので、「たくさんの人がいる前で英語を話すなんてできない」と思い、少し高いけどマンツーマンで話せるコースを選びました。
ぶっちゃけると英語が話せる様にはなりませんでした。笑
でも、通ってよかったと思っています。
ここの先生がとても良い人たちで、英会話以外のことでもたくさんのことを助けて頂きました。
アメリカ人の先生も優しくて、とてもわかりやすく教えてくれました。たぶん、ここで勉強していなかったらもっと英語でつまづいていただろうと思います。
日本人の先生も留学経験もありましたし、人脈がすごくて色んな情報を教えてくれました。
VISA申請をする時も、英文での推薦状を作る手助けをして頂いたり、わかりにくい英文を翻訳して頂いたり、頼りになる存在でした。
一時帰国で挨拶に行った時に、私が英語を話せる様になってることにめっちゃ驚いていました。笑
4 宣言する。
どうしても日本のサロンや、仕事って辞めにくい雰囲気とかあると思います。
でも私ははじめからオーナーや同僚に意思を伝えていました。
確かに、途中で仕事を辞めるって良くないこともあります。
スタッフには迷惑をかけますし…
「技術だけ教えてもらって、他で働くってめっちゃ都合いいやん。」
確かにそうです。
でもやりたい事が他にあるなら、絶対やるべきだと思います。
私がその時スタッフに「申し訳ないなー言いにくいなぁー」って思って何も言わずに、後ろめたさだけを残して辞めていたら…。
今の私の様に、帰国の度にあの時はお世話になりました!今はアメリカでがんばっています!と胸を張って挨拶に行くことはできていないと思います。
もしかしたらその当時は良く思っていない同僚もいたかも知れませんが、私は今でもわがままを許してくれたオーナーや同僚に感謝しています。
同じ職場でずっと働く事がその人に貢献することではありません。
違う場所で働いているからこそ、情報交換ができて助け合うこともできます。
良くも悪くも、私一人いなくなったって…サロンは何とかなります。笑
お客様にも夢を語る。
スタイリストになりたての頃のお客様と今でも連絡をとっています。サロンによっては個人的な連絡を交換することは禁止されている場合もありますが、できるなら繋がっているといいと思います。
私がサロンをやめる時、1回では持って帰れないほどのプレゼントをもらいました。笑
一時帰国した時に、髪をさせて頂いているお客様がいます。
アメリカに旅行に来た時に会いに来てくれる人がいます。
インスタをあげると応援メッセージをくれたりします。
めちゃくちゃ励みになります。
本当に美容師をしていてよかったなと思います。
家族に夢を語る。
私は、社会人になっても実家暮らしでした。奈良育ち、大阪の大学に通い大阪のサロンで働いていたくらいの行動範囲です。
「そんな無理して頑張らんと近くにおったらいいのに…。」って感じの甘い両親です。
でも、私が言うこと聞かないのも知っているので…
反対はせず、背中を押してくれます。
家族に理解してもらうことで、この挑戦で何か残さないといけないと言う決意がうまれます。
そこが重要かなと思います。
ただ、アメリカに遊びに行くだけなら誰でもできるので…。
5 VISA、面接、入国。
アメリカに行くと決めたので、あとはVISA取得です。必要な手順はこんな感じです。
- 学校に問い合わせをする。
- 学費を払う。
- アメリカ領事館の面接の予約をする。
- 面接に行く。(その場で合否がわかります。)
- 2週間ほどで、VISA付きのパスポートが送られてきます。
- 入国審査。
VISA取得について詳しく知りたい方が多いと思うので、別のブログで詳しく説明したいと思います。
6 刺激的な生活の始まり。
念願のLA到着
空港に着くと、美容学校が手配してくれた人がAKANEという紙を持って迎えにきてくれていました。
その人が何を言っているのか全く理解できませんでした。笑
知らん外国人の車に乗せられて…。
LAXから美容学校までの道のりはフリーウェイから見えるヤシの木が綺麗で、LA最高やぁー!って思いながらワクワクしながら乗っていたのを覚えています。
学校に着き、受付の人っぽいに学校の説明受けて荷物を整理してひと段落。
今日はとりあえず時差ボケもあるしゆっくりしようと思っていました。
が、しかし…
Dの登場です
「今から、ヘアメイクをしにいくのであなたも来ますか?」
「え?いきなり?」
「あなた日本でスタイリストしてたんでしょう?じゃあヘアセットできるわよね?」
ってな感じで一緒に連れて行ってもらいました。
でも私、舞台のセットなんてやった事ないし…
「いい感じにしといて」的な指示だし…
パニック状態でした。
しかもこのタイミングで時差ボケのダメージ来るし…。
LA初日…コテンパンにやられました。笑
2日目、3日目とLA生活が進んでいくのですが…
カリキュラムもクソもない。
一応、授業の案内とかあるけど…
突然サロンワークの手伝いさせられたり…
突然撮影に連れてってもらったりと…
毎日刺激的でした…。笑
私のイメージでは、一年くらいちゃんとクラスを受けて、コスメトロジーライセンスとって…。その隙間の時間で撮影したり、就活したり、サロン見に行ったりできたらいいなーって…。でもきっと難しいんだろうなーって思ってました。
私の周りには、ハリウッドでテレビや映画のヘアメイクをやる夢を追いかけている人。
アメリカでサロンを持つ事が夢の人。
日本でサロンをオープンする前にアメリカに勉強しに来ている人。
年齢層も幅広く、10代から、50代くらいで経歴も様々。
日本では出会えなかった個性的な人たちと出会いました。
良く言えば…ポジティブでエネルギーがある人達。
悪く言えば…日本で浮いてたんやろなー笑 という人達。
とにかくここでは、私の視野を広げてくれるたくさんの出会いがありました。
7 まとめ
私が美容師になって、アメリカに行くまでの道を紹介させて頂きました。
アメリカで働くということは、ハードルが高いというイメージがありますが、何もない私でも実現する事ができています。
やり方がわかっていればどんな人でも実現できるので、私の知っている事をシェアできればと思っています。
これからもっとたくさんの美容師が視野を広げ、活躍し、もっと日本の美容業界が盛り上がっていけばと思っています。
具体的に参考になる様な、VISA取得から入国までの流れについては改めて書きたいと思っています。
今日のLAも最高にいい天気です!
何か知りたい事などあればコメント下さい!
AKANE