19歳の頃。友達に裏切られ。先生に見放され。親のいうことを聞かず。彼女を裏切り浮気して。タバコや飲酒を始め。何をやってもうまくいかなくて…人を信じる事ができず、自分を責めて、どうせ私の人生こんなもんか。うまくいく人ははじめからうまくいく運命なんやな。うつ病について調べてみると…全ての項目であてはまり。不眠症。自律神経がやられて全身蕁麻疹が出ました。
そこから、私が学んだ事。
- 人は見た目で判断される。
- 間違っている人を正しさで責めても、自分が損する。
- 言葉なしで伝わるのは家族や、限られた友達だけ。
- 自分が思っているほど、周りの人は自分に興味がない。
- 勝手に人の期待を背負ってもしんどいだけ。
- 当たり前のことを伝える事は予想以上に大切だった。
- 継続は力
今の私は…スーパーポジティブ人間です。
現在はアメリカで美容師やってます。
周りからはやりたいことをやっていて人生楽しそうやなーとよく言われます。そんな私も昔はうまくいかないことだらけでした。人生どん底だった大学生の時の体験をシェアしたいと思います。人生うまくいかないなーと思っている人や、部活頑張ってる人。ちょっと読んでみてください。
目次
- 即レギュラー、新人賞、国体大阪代表。
- 先輩、監督と合わない。
- 誰も信じてくれない。
- 自分が思っているより人は自分に興味がない。
- うつ病、不眠症、蕁麻疹。
- 言葉なしで伝わるのは家族や、限られた友達だけ。
- 勝手に人の期待を背負ってもしんどいだけ。
- 当たり前のことを伝える事は予想以上に大切だった。
- 継続は力
- まとめ
1 即レギュラー、新人賞、国体大阪代表。
高校3年の進学の頃には、いくつかの実業団2部や大学のチームから誘って頂いていました。私は両親が教育系だった事もあり、障害者教育に興味があったので教育福祉系が学べる大学に推薦で入学させて頂きました。
そこの大学が前年度日本一。
同期が20人。
入学して即レギュラーで、関西リーグの新人賞、大阪の大学だったので大阪代表の国体選手にも選ばれました。
というのも、高校で本当に実力のある人は実業団の1部に引き抜かれるので大学のソフトボール界は、実業団に行くほどでもないけどそこそこ実力のある人、もう少し学生でプレーして自分を磨きたい人、勉強と部活を両立してやりたい人などがプレーする場所でした。
私は大学リーグ簡単に結果が出るなーと悠々と過ごしていました。
その頃はプライベートでは可愛い彼女もいて、先輩から告白されたり、同期からもモテるし、他チームからも声かけられるし、後輩からもチヤホヤされるしモテるのが当たり前状態でした。笑
そんな感じで2年くらいは順風満帆に過ごして、特に2年の時に大阪選抜で国体に出場できた時は最高でした!チームのメンバーも尊敬できる先輩たちで、近畿予選で一部の実業団に勝って本国体出場を決めた時は本当に気持ちよかったです。でも実際の大会ではオリンピック代表選手とかがいる実業団トップのチームにコテンパンにやられた気がします。笑
2 先輩、監督と合わない。
まず、一つ上の学年と全く考え方が合いませんでした。
チームの半分は同期で、1回生からレギュラーでした。だからどうしても先輩がチームをまとめようとしても試合に出てるのは下級生で試合の経験も豊富。上級生が何を言っても私の心には響きませんでした。仲が悪かったというわけではなかったのですが、とにかく合わなかったという感じです。
その頃、私は監督にもめちゃくちゃ嫌われていました。
私は感覚派。数撃ちゃ当たる的な考え方が大嫌いでした。要領良く練習して、集中力を高めて効率よく結果を出すというのが私のスタイルでした。
でも監督は、練習量を重視。データをとるとか言って無駄にピッチャーに投げさしたり、打撃練習も個性を生かすというよりかは、みんな同じやり方でやれば打てる確率が上がるという考え方でした。
私のように感覚的に生きてる人には理解できず、ぶつかる事がよくありました。
反抗的ではありましたが結果を残していたので、しばらくの間はレギュラーで起用してくれていました。
3 誰も信じてくれない。
ある日、1回生の時からレギュラーで出ている同期と一緒に講義を受けていました。
その講義には他の同期も何人か受けていたのですが、その中の一人が私たちが講義中にその子の悪口を言っていたと言いました。
そんなことはよくある事なんですが、それをきっかけに色んな事が崩れていきます。
まず、
「私たちはその講義中にその子の話をしていません」
でもその子はこの事をきっかけに部活に来なくなりました。
ミーティングが行われました。
「私たちはその子の悪口言ってない」という事を誰も信じてくれませんでした。
私たちは1回生の時からレギュラーで目立っていました。私はそれを当たり前だと思っていたし、他の同期の気持ちは考えていませんでした。
日頃、私たちに溜まっていた不満がたくさんあったみたいです。
監督にも話が伝わり、私たちはレギュラーを外されるどころかベンチ外になりました。
私は本当にショックでした。
日頃、チームメイトのことを気遣うことができなかった事により、私は信用してもらえませんでした。
私たちは嘘をついていないのに、それを証明できないまま日々が過ぎて行きました。
私たちは今まで気付けなかったことを反省し、雑用や、声出ししたりして、プレー以外のところでチームメイトに認めてもらえるように努力しました。
4 自分が思っているより人は自分に興味がない。
「私たちが悪口を言っていた」と休んでいた同期も部活に顔を出すようになりました。
しばらくしてその子は部活をやめました。
その子は、誰かが盗聴してるといっていたり、どこにいくのも旅行に出かけるくらいの荷物を持ち歩いていました。
その子は精神的に病んでいたのです。
「私たちはその子の悪口言ってない」という事が…
やっと証明されました。
チームメイトたちは、あっさり。
あの子精神的におかしかってんなぁ。で終わりました。
返して、あの心の傷。
私は信じてもらえなかった事がすごくショックだったのに…
私はこの頃から人間不信になっていきました。
5 うつ病、不眠症、蕁麻疹。
一方、プライベートでは部活の鬱憤を晴らすかの様に、よくしてくれていた彼女を裏切り、浮気をしたり、色んな人に手を出していました。そのクセ彼女には重いとか言って別れを切り出し。真剣に付き合うのは疲れたと言って、年上の人に遊びで付き合いましょう。とか言って付き合ったりしていました。その彼女の家に居候し始めて、タバコやお酒を学び、親のスネをかじってバイク購入し、大学に通い、肩を冷やし過ぎて、怪我をして、どんどん負のスパイラルにハマっていきました。
元々プライドが高かったので、あまり人に弱いところを見せるのが嫌いで、本当はすごく傷ついていたり、試合に出れないのが辛かったり、ちゃんと恋愛ができないことや、気づかない内に人を傷つけて信用されない自分を自分で責めていたところがあったんだと思います。
その後、原因不明の腹痛で不眠症。
食欲もなくなり。
部活に行く前には、吐き気や腹痛が起きるようになりました。
ついに精神的な理由で部活を休む日がきました。
私たち世代の体育会系の人ならわかるかもしれませんが、人前で涙を流す事と、精神的な理由で休むことは根性が足らんということです。笑
私的にはかなり屈辱的でしたし、バカにされるわーとかめっちゃ思っていました。
でももう限界でした。
原因不明の腹痛だと思っていた部分に綺麗に列をなした湿疹ができました。自律神経がやられるとこういう症状が出るらしいです。
母の知り合いの皮膚科の先生に見てもらうと、かなり我慢したねー…と初期の段階でピリピリしたり何らかの症状が出始めて、体が限界を超えるとこんな風に炎症を起こして湿疹になるんだよと言われました。
原因不明の腹痛はこれか…。と思いました。
6 言葉なしで伝わるのは家族や、限られた友達だけ。
元々、悩みを家族に話すタイプではなかったので、大学の部活であったことなどは詳しく話をしていませんでした。母はよく試合を見に来てくれていたので、私が試合に出てないことは知っていました。この湿疹が出たことで、しばらく帰っていなかった家に帰り、母と姉に最近あった事を全て話しました。
母と姉は1ミリも私を疑うことなく、話を聞いてくれました。
その時の私は同期に信じてもらえず、人から信用を得ようとすると、雑用をして、人の機嫌をとって監督の前で良いところ見せて、見た目は目立たない様にして…自分を押し殺して人のために行動しなければいけないと思っていました。
何年もまともに会話をしていないはずの母と姉が、私の話を信用してくれるわけないやろうと思っていました。
「あんたが嘘をつくタイプの人間じゃない事は知ってるねんから疑うわけないやん。」てな感じで簡単に信じてくれました。
私は心が解放されてとても楽になりました。
初めから素直に家族に頼ればよかったと思いました。
7 勝手に人の期待を背負ってもしんどいだけ。
私は少し休養を取り、部活への復帰のために根性見せるぞーと頑張っていました。
いざ、行こうとすると体がいう事を聞きません。
また、吐き気が出たり、恐怖心に襲われます。
そんな自分はカッコ悪いから、病んだ顔では部活に行きたくありません。
精神的に病むというのは本当に言葉にできないくらい自分でコントロールできないです。
そんな時、姉が一言「そんなにしんどいんやったらやめれば?」と言いました。
衝撃的でした。
あっ辞めていいんや。って思いました。
私は大学までソフトボールしかやってなくて…両親にも援助してもらい、親戚やチームメイトにも期待されここまでやってきたんだからみんなの期待に応えなくてはいけないと心底思っていました。
勝手にみんな私に期待してるし、やめたらあかんやろ。って思ってました。
姉の一言で、やっと自分の感情や意志が見えてきました。
周りの反応を気にせず、シンプルに自分と向き合って考えてみると。
肩を壊した事によって、今まで通りにプレーする事が難しくなっていた事。
どうしても監督と合わないから、自分らしくプレーできない。
同期にどう思われてるかわからないから、常に緊張感を持って部活をやっている。
自分が普段気にしている事が、見えてきました。
私はこんな状態でも日本一にならなくてはいけない。試合に出て結果を残さなくてはいけない。と自分にプレッシャーをかけていました。
姉の一言で、もう結果にこだわる事はやめよう。
とりあえず、引退まで自分のできる事をやろう。と決めました。
これをきっかけに部活に復帰する事ができました。
ずっと私のソフトボール人生を応援してくれた母には、「ごめん。試合に出る事ができないかもしれないけど最後まで続けるの目標で頑張る」と伝えました。
結果が全てのスポーツの世界でプライドの高い私がこの決断をするのはなかなかキツかったです。
8 当たり前のことを伝える事は予想以上に大切だった。
それから監督の機嫌をとってまでレギュラーになろうとも思わなかったですし、むしろ嫌いな人とどう付き合っていくか?という…ゲーム感覚で、監督と接していました。そうやって、客観的な目線で見る事によって、監督の言動や、行動で一喜一憂する事がなくなり、簡単に合わせられるようになりました。
チームメイトには言わなくても分かってくれてると思っていたことを、言葉にして伝えるようにしました。
そうすると、周りの反応がめちゃくちゃ変わりました。
私は見た目がいかつくて、真剣にプレーに集中すると、かなり顔が怖かったらしく…周りはいつも怒ってると思っていたらしいです。笑
そこで、私が「ありがとう」とか普段伝えなかった感謝の気持ちを伝えた事で、チームメイトの反応がどんどん変わっていきました。
私はこの経験で人間不信になり、誰も私の事は信じてくれないと悲劇のヒロイン状態でしばらくなっていました。
チームメイトは私のことを「知らなかった」だけ。
私自身は、「わかってもらえてる」と思って伝えていなかっただけ。
目線を変えると自分の思い込みだった事に気づきました。
9 継続は力
4回生になり、自分が試合に出る事にこだわらず、誰かのために時間をかける事、後輩を育てる事。チームをまとめる事。技術向上のために自己練習に励み、インカレ優勝を目指して、日々努力を続けていました。
インカレの出場権も獲得。
スタメンで試合に出場しました。
残念ながらチームは負けてしまいました。
引退が決まった瞬間…また日本一になれなかった。悔し涙が止まらない…。
…と思ったのですが。
やっと終わったという解放感、達成感で嬉しくてしょうがない!
(自分でも予想外でした。笑)
やっぱり監督とは最後まで合わなかったですし、副キャプテンで大勢の部員をまとめて一つの目標に向かっていくというのは、責任のある大変な事でした。
私の中で、うつになって休んだ後。
目標は、いつの間にか日本一になるぞー!から最後まで責任を持って続けるぞー!に変わっていたのかもしれません。
本当はソフトボールで日本一になってみたかったです。
その夢は儚く散りました。
「嫌いな人と付き合う。嫌な仕事をする。やりたくないことをやる。」
私は、これを避けて途中で大学を辞めなくてよかったと思います。
結果は何も残っていないし、得した事はないけど。
我慢をして、向き合って、関わって、関係を良くしようと挑戦し続けた経験は…
ものすごい達成感となって返ってきました。
一定期間でも良いので、苦手な人や、苦手な事と向き合う事はとても自分のためになります。
それを続けたことで、結果的に何も残らなかったとしても、自分は自分が頑張って継続したことを知っています。
その自分を褒めてあげる、認めてあげられるというところが自信に繋がります。
まとめ
- 人は見た目で判断される。
- 間違っている人を正しさで責めても、自分が損する。
- 言葉なしで伝わるのは家族や、限られた友達だけ。
- 自分が思っているほど、周りの人は自分に興味がない。
- 勝手に人の期待を背負ってもしんどいだけ。
- 当たり前のことを伝える事は予想以上に大切だった。
- 継続は力
この大学生活のおかげで、良いことも悪いことも経験し、ドン底から這い上がる強さを身につける事ができました。
もし今、人が信じられなくて不安になっている人、毎日が楽しくなくて、未来が見えない人は、少し目線を変えて見てみることもいいかも知れません。
私の場合は家族が支えとなってくれました。
もし、自分の周りに誰も支えになってくれないという人がいたら、私にメッセージをください。
AKANE